読書という名の「視点育成ゲーム」

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読書とは何か。考えてみた。

読書:他者の視点を活用して、何かを創造すること

読書は二段階で構成されている。

 

第一段階は、他者の視点を育てることだ。

人間はこの世界に生まれてから、まもなく一つの視点を獲得する。「自分」の視点だ。

幸いにも、人間は読書を通じて、多種多様な視点を育てることができる。

「日本人」の視点、「仏教」の視点、「ミクロ経済学」の視点、「ソクラテス」の視点とか。

「自分」の視点だけを頼りに生きるのは、かなりしんどい。必ずどこかで行き詰まる。

手持ち「自分」一匹だけで四天王に挑むのは、さすがに心細い&無理ゲー。(ただし、天才は除く)

読書とは「視点」という名のポケモンを捕まえて、レベルアップさせる過程そのものだ。

もちろん、「人生」という名のチャンピオンを攻略するために。

 

第二段階は、育成中の視点を活用して、何かを創造することだ。

「何か」というのは、問い、文章、絵、建物、料理、習慣など、とにかく何でもいい。

視点という抽象的なものを、創造という具体的な活動に落とし込む。読書とは、極めて人間的な営みなのだ。

この第二段階を抜かすと、読書は情報を脳に詰め込むだけの機械作業と化す。そして、この作業に慣れてしまうと、いわゆる「知識バカ」になる。

ふしぎなアメでレベルアップさせたポケモンは、糖尿病になって戦力外通告を受けるのがオチだ。

 

最後に、ショーペンハウアーの『読書について』から、印象的だった言葉を引用しよう。

紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

パフェの表面のクリームだけ食べるよりも、深い層までスプーンを突っ込んですくい取って食べたほうが、いろんな素材がミックスされて美味しく感じる。

同様に、表面上の文章だけを追うよりも、著者という一人の人間を追うほうが、読書という人間的な営みをより深く味わうことができる。

視点は、自分で育てなければ意味がないのだ。

見知らぬ人にもらったポケモンには、愛着があまり湧かないだろう。

しかしながら、一度レベルアップしたポケモンは、もう二度とレベルダウンできないのだ。

他人が育てたポケモンを、最初から自分で育て直すことはできない。

この事実を知っている人間だけが、読書という名の「視点育成ゲーム」を最大限に楽しめる。

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